「若者定住」を促進するまちづくりについて、私がA地区の皆さんにお願いするために話したのは次のようなことだった(6月20日ブログ続き)。

 

 若者、若者というが、それは具体的にどういう人たちのことだろうか。

 

 たとえば、地域の要望にこたえて若者向けの公営住宅を建設したとしよう。

 

 入居者を募集したところ、地元からは応募者がなく、ほとんどの希望者が他市町村の人だった。さぁ入居手続きを進めようという段になって、地元の皆さんが「よそ者は困る」と言い出したらどうなるだろうか。事業はいったん頓挫し、新たな調整を必要とするようになるだろう。

 

 今だったら外国人の若者が入居を希望してくるかもしれない。

 

 それもOKなのか、あるいは拒絶なのか。

 

 これを決めるのは地域に住む皆さん自身しかいない。そしてその意思が明確になっていなければ、こうした事業を始めることはできないだろう。いや資金があれば建物を建てることはできるかもしれないが、場合によって地域は大きな紛争の種を自ら抱えるかもしれない。

 

 地元の若者が外へ出て行かなくても済むようにするのが主目標なのか、他の地域の若者を大きく受け容れることが目標なのか、子育て世代を支えることを通じて地域の再生を図っていこうとするのか、単身通勤者の住環境を整備するのか、などなど。

 

 これらは実はまちの風貌を決するようなことだけれど、行政機関がこういう計画だといってみても、地域の皆さんがそれをめぐってどういう判断をし、行動するかが、結局は物事のすう勢を決するしかない。

 

 だから私としては、定住促進住宅とは、どういう若者を呼びいれようとしているのかについて、地域の考えをまとめていただきたいと思う。その議論のもととなるさまざまな情報や資料、法的問題へのアドバイスなどについて、市はあらゆる協力を惜しまない。

 

 ――A地区での懇談を、私はこう締めくくって住民皆さんへのお願いとした。

 

 懇談を終えて帰路につきかけたとき、地域役員の方が寄ってきて、「要するに地域ということだね、これからは地域が決定するということだね」と感想を述べていかれた。

 

 帰りの車中、私はその方の言葉を反すうしてみた。

 

 そうなのだ。一人ひとりの行動が政策を左右し、その行動によって生活環境が決せられる場が「地域」なのだ。

 

 人口の減少時代は、国地方問わず政府の税収は低減傾向に見舞われる。しかしそれは納税者一人ひとりの収入が減った結果ではない。規模の経済にまかせて豊かさを追求してきた時代には、膨張する政府収入を配分しあうことで地域活性化を先導するという方程式も有効だった。

 

 今は反対で、縮減する政府収入を奪い合うことにエネルギーを費やすよりも、われわれ一人ひとりが「何をしたいのか」を明確にすることによって新たな価値を先導する方が、ずっと効果が高い。

 

 ここでわれわれはもう一つの議論にぶつかる。

 

 「市民自治」とか、「協働」とか、「地域のことは地域で」とかいうが、要は財政難のなか行政がやっていたことを市民に肩代わりさせようとしているだけではないか、という見方がそれ。

 

 総合計画策定の過程では、本市でもそうした議論があった。

 私の考え方を少しお聞きいただきたい。

 

 

設楽原決戦場まつりの写真

7月6日(日)は、「設楽原決戦場まつり」です。有名な馬防柵から鉄砲隊の火縄銃が火ぶたを切ります。地元小・中学生による合戦劇も。

どうぞお越しください。