幾つかの報道機関からコメントを求められた。

 

 こういう政局にかかわる問題へのコメントは簡単ではない。「驚いた」「無責任ではないか」「このタイミングか」「選挙戦略優先だ」「最後までやってほしかった」などなど、いわゆる感想的なコメントはいくらでも出てくるだろうし、「政権投げ出し」「総理の椅子の軽さ」といった批判的論評も、自分が傷つかない範囲でならさまざまに成り立つ。

 

 けれどもことは、一国の最高権力にかかわるものだ。市長という行政権限を預かる者としては、総理大臣がどんな責務とプレッシャーのなかで日々を送っているかを想像すると、それはそれは大変なものだろうということくらいは分かる。

 

 はっきりしていることは、いわゆる「ねじれ国会」のもとでの政治運営がいかに困難をきわめたものであるかということだ。

 

 解散・総選挙で有権者の審判を仰ぎ、国民の信任を得た政権をつくるのが本道だ、というのももちろん正論。けれども選挙から選挙の間は、代表権をもつ者がそれぞれの局面ごとに、与えられた権限のなかで具体的な決断と選択を繰り返していくほかはない。

 

 総選挙の結果政権交代が起こって他の政党代表が総理になっても、やはり同じことで、いろいろな形で「ねじれた」諸関係のなかで四苦八苦することだろう。

 

 要は超・長期政権のもとでつくられた政治運営ルールでは対応できない事態が常態化してしまっているのだから、政党や国家経営に携わる人々のなかで、新たなルールを一歩一歩と練り上げていくほかはなく、その強い政治意思だけはプロ達に持っていてもらわないと困る、というのが、大方の感覚ではないか。

 

 いろいろな「混乱」や「空白」はあって、私も聞かれれば「市長としては、予算編成に入る時期に苦慮している」的なことは言うわけだが、しかし、それは日本国民全体が払わなければならない政治コストの一部だというくらいの覚悟はもっている。

 

 新しい政治能力と政治システムを産み出すための前夜。何も天が落ちてきたり、地が抜けたりするわけではないのだから、むしろここからつくりだされてくるものをしっかりと見きわめていきたい。