医療もサービス業である以上、市場競争原理にもとづき、ダメな病院は退場させ、より効率的な資源配分が実現するようにすべきだ、との議論があった(いまもある)。

 

 ダメな経営の標本は自治体病院。経営形態を見直し、より抜本的な再編統合も視野にいれて改革に取り組むべし、と、言われた(いまも言われている)。

 

 なるほど。医療だって収支を考える以上、企業経営と同じで、市場の競争にさらし、非効率な部分を除いたほうがいいに決まっている。

 

 と、納得しがちだ。

 

 でもちょっと待ってほしい。

 

 たしかに医療の世界も、現場での需給関係には、立派に競争原理が働いている。

 

日本の医療システムが世界に誇りうる宝は2つあって、1つは「国民皆保険制度」、もう1つは「フリーアクセス(患者による医療機関の自由選択)」だと言われる。

 

 つまり保険証さえ持っていれば、どこの医療機関でも同じように診察を受けることができる。最初に診てもらった医者が気に入らなければ、他の病院にかかることもできる。居住地でなくても、保険のきくところなら、どこだっていい。

 

 医者が開業したり、病院経営に乗り出たしたりする場合も同じこと。一定の条件が満たされ、公的機関の開設許可が下りれば、望むところで医院や病院を開くことができる。

 

 そこがうまくやっていけるかどうかは、患者の評価にかかってきて、良質で良心的な医療サービスが提供されるならば、そこはきっと地域住民の評判を得て大いに賑わうことだろう。

 

 ここまではほかのサービス業と変わるところはない。

 

 ところが、サービス供給の大本はどうなっているか。といえば、これはもう完全な国による一元統制のもとに置かれている。

 

 医師数、看護師数、医学部定員はもちろん、病院経営に決定的な支配力をもつ診療報酬や薬価基準、医療圏の病床数など。医療資源の供給量は、市場で決まっているのではない。

 

 水道の元栓は、しっかりと国家統制されていて、あとは流された水を効率的に取り合いなさい、というわけだ。国の見通しが正しければいいが、政策ミスが生じれば、管の細いところには飲み水さえ来なくなる。

 

 これを市場による適正な資源配分と呼ぶには、ムリがある。

 

 市場原理による効率経営というなら、市民ニーズ(需要)が悲鳴を上げるほど高まり、多少の出費はいとわないと多くの人が考えている状況にあれば、供給側の収益が高まり、勢い供給力も高まるはずだ。

 

 ところがそうはならず、需要が高まれば高まるほど、供給側が疲弊し、現場から「立ち去る」現象が後を絶たない。

 

 救急ぐらいは何とかしてほしい。少子化対策といいながら近所でお産もできないでどうするのか。報酬アップしてもいいから医者を確保してほしい。税を投入してもらっていい。・・・おそらく全国多くの地域で、自治体関係者はこんな切迫の声を浴び続けているのではないか。

 

 前回ブログで触れた、市民ニーズと医療現場の実態との乖離。

 

 ここを埋める役目を、単純な需給バランスに委ねてはおけない理由は、医療のこの特質にある。

 

 

今日は秋の味覚を。

新城は良質な柿がとれます。次郎柿。お遣い物にもどうぞ。

柿