しばらく教育委員会と政治との関係を述べてきた。この話題、とりあえずここら辺で一区切りさせたい。

 

 教育現場への政治介入はできるだけない方がいいと言ってきたわけだが、そうすると、学校ではもっとフランクに、オープンに、政治に関する教育や学習ができるようになる。私はそう願っている。

 

 以前どこかで読んだか、聞いたかした話だが、若者の政治的無関心とか選挙のときの低投票率とかが取りあげられて、それについて当の若者に意見をたずねた。

 

 ある青年がこう答えていた。

 「僕たちは20才になると選挙権が与えられて、さぁこれからは大人の仲間入りだ、立派に国民の義務を果たしなさいと言われるけど、それまで学校でも、家でも、社会でも、一度も教えてもらったことがないことを、どう考えていいのか、どう判断していいのか、正直いって分かるわけないだろって、思うんですよ」。

 

 皆さん、どう感じるだろうか。棄権や完全な無関心が許される理由にはならないだろうが、たしかに一面の真実ではないか。

 

 車にさわったこともなければ、交通法規も教えられたことのない人に、いきなり「18才になったので、今日からあなたに免許証が交付されました。どうぞ自由に車を運転して、好きなところに行ってください」と言いわたしたとしたら。それが社会の慣例だとしたら。

 

 想像してみてください。道路の上はけが人や事故車だらけになって、交通はめちゃくちゃなことになるのではないか。ともかく頑丈で、戦車みたいな車に乗れる人だけが、勝ち残ることになるのではないか。あるいは怖くて、たいがいの人は「運転権」を放棄するのではないか。

 

 普通こんなことはしない。ところが、政治というすべての国民にもっとも関係の深い、そしてその選択を誤れば社会を破局に招きかねない、そんな事がらについては、われわれの社会はこういう状態に近い。

 

 社会全体の意思決定はどのようにしてなされるのか。公共領域と他の領域との関係はどうなっているのか。社会保障や安全保障にはどんなお金が投じられているのか。自分たちの代表を選ぶときには、何に気をつけたらいいのか。などなど。などなど。

 

 投票権をもって主権者として振る舞うには、知っておいた方がいいこと、知っておかなければならないことが、山ほどある。

 

 学校が政争の場であったり、大人社会の力関係がもろに持ち込まれてくる場であったりするときは、「政治」にかかわる話題はできるだけ避けるのが、賢明だろう。どの政党を支持してるとか、どんな政治思想が好ましいとかを、生徒に吹き込んでいると見られかねない。

 

 政治と教育との関係が、成熟した大人の関係になっていれば、小さなときから社会のルールの一つとして、政治への適切なかかわり方を継続的に教えることができる。

 

 そうすれば、われわれの社会もかなり変わったものになっていくのではないか。

 もちろんより良い方向に向かって。

 


 

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