信玄塚

天正3年(1575)5月21日、南北に流れる小さな連吾川をはさんで、西に織田・徳川連合軍と、東に武田軍とが戦闘に入り、激烈な戦いが繰り広げられました。この戦いで、武田軍の死者は1万余、連合軍は6千余と言われます。
激戦地であった連吾川の両岸には、累々とした屍体の山でした。里人たちは、まず名の知れた武将をそれぞれの地に埋葬し、残った多くの屍体は丘陵の1個所に運び、大きな穴を2つ掘り、そこに埋めて塚を築き、その上に印の松を植えて弔いました。
多くの将士を埋めた2つの塚は、大塚様、小塚様とあがめてねんごろに弔いました。これが現存する「信玄塚」です。一説には、大塚は武田方で、小塚は織田・徳川方とも言われています。
登録日: 2008年1月8日 / 更新日: 2008年3月19日









